ちょっと中国史調べ

先日NHKBSの再放送で牧野の戦いで滅んだ「殷(商)」を取り上げていたです。マンガにもなった「封神演義」の舞台ですな。その前は?その後は?というのが気になったので、ちょっくら調べてみました。
太公望と妲妃(封神演義)

三皇五帝(紀元前2500年頃?)

「夏」以前の中国大陸の神話の時代。その時治めていた伝説の8人が三皇五帝と呼ばれる方たちです。なお誰が三皇で誰が五帝なのかは諸説ありまくり。

( ⊙∀⊙)b 三皇五帝と関わりのある創造神の盤古(宝貝の盤古旛)、天地開闢の伏羲女媧はマンガの封神演義に、黄帝西王母饕餮蚩尤は女神転生に出てきますな。どいつも最強クラス。
黄帝(女神転生) 西王母(女神転生)

夏(紀元前2070年頃~紀元前1600年頃)

中国最古の世襲のある王朝。司馬遷の「史記」に記されている。夏の時代に作られた宮殿を含む大規模集落跡は見つかったが、それが王宮だったのかは議論の渦中。
殷により滅ぼされたです。文字は存在しなかったようです。

殷(商)(紀元前1600年頃~紀元前1046年)

考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝。当時最強の武器である青銅と文字(甲骨文字)を持っていたです。文字は国の行く末を占うために用いられたものだったが、殷滅亡期には周辺諸国も文字を扱うようになっていたです。

封神演義にも出てくる殷王朝最後の王紂王は30代目。
牧野の戦いで周の武王により倒されるです。
紂王(封神演義)
(;⊙д⊙)b 殷が他国から忌み嫌われていたのは酒池肉林、女性の重用など他国から見ればありえない異文化と見られたから。その極みが人の生贄だぜ。
( ⊙∀⊙)b  殷王家の血筋は途絶えず、その子孫は孔子とされ現在も続いているぜ。

周(紀元前1046年~紀元前256年)

君主の武王が弟の周公旦、軍師の太公望、召公奭などの助力を得て牧野の戦いで殷を一日で滅ぼす。実は牧野の戦いの以前に殷の東側で起きた戦争に戦力を割きすぎて、牧野の戦いに十分な戦力を回すことができなかったとか。

( ⊙∀⊙)b 牧野の戦いの後、忠臣たちは他の国家を治めることになるです。
  太公望→  召公奭→  周公旦→

なおピークは殷を討滅した武王の子成王とその子康王までのおよそ50年間。そこから徐々に没落し、12代の幽王の時代に東周と西周に分離。国が興っては滅ぶ春秋戦国時代に入り、国土は削られ東周と西周ともその他諸国程度にまで落ちぶれたです。

(⊙∀⊙)800年後(⊙д⊙)

殷を滅ぼしてから800年後、西周は韓と交戦中の秦の攻撃を邪魔されたとして将軍の攻撃にあい、謝罪として秦を領土に献上して滅んだです。

摎(キングダム)
一方、東周は西周より数年存在していたが、同じく秦の討伐に失敗して滅んでいるです。

( ⊙∀⊙)b 封神演義とキングダムの間に今も名を残すひとが生まれたよ。
 道教の始祖老子
 儒教の始祖孔子
 兵法家の孫武(孫子)孫臏
 



封神演義

作られたのは殷滅亡の2000年以上後の明の時代。殷周革命と道教の仙人、道士、妖怪の要素を取り入れ人間界、仙人界を巻き込んだスケールにしたお話。
そもそも道教が生まれたのは殷の滅亡500年後ぐらい。他にも殷の時代には伝来していない仏教由来の仙人がいたりと結構時代錯誤していたりするです。

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